城あるき。『楽田城』を解体してみる。
今回は、
「楽田城」
をご紹介します。
◆ 愛知県犬山市にある城跡。
愛知県犬山市にある城跡と言えば、犬山城が超有名ですが、
他にも城跡はあります。
その一つが、今回ご紹介する楽田城です。
楽田城は、愛知県犬山市字城山97番地にあります。
いまは犬山市立楽田小学校になっています。
◆ 織田家が築城した城だった。
楽田城は、織田久長が永正年間(1504~1521)に築城したと伝えられます。
ただ、はっきりとはわかっていません。
しかも、天守の起源が楽田城だと言われますが、
その根拠となる一次資料もありません。
しかし、70年間ほど城としての役目をはたしていました。
その最大の活躍の場が、小牧・長久手の戦いでの羽柴秀吉の本陣とされたことです。
◆ とにかく、内堀がでかい。
楽田城の平面図です。
楽田村史から拝借しました。
楽田城の絵図はこのぐらいしか残っていません。
しかし、その絵図と現況がとてもよく似ています。
この絵図を片手に楽田小学校の周りをぐるっと一周するだけで、の存在がよくわかります。
たかまる。の推測ですが、おそらく深い堀というより、若干の低く下がった沼地だったんじゃないかと。
この辺りは田んぼが多い。
ということは、水が良くたまる。
楽田城の周りが足場の悪い沼地になっているだけで、敵の侵入は十分防げたはずです。
そういうことだったんじゃないかなぁ。
◆ 羽柴秀吉が本陣を張った重要な場所。
先ほども出てきましたが、小牧・長久手の戦いのときの羽柴方の本陣でした。
ここから小牧山は目と鼻の先。
小牧山には徳川家康が陣取っていました。
そして、羽柴方も徳川方もいくつもの砦を築いてにらみ合ったのです。
言い方を替えたら最前線の砦。
ここに羽柴秀吉がずっと陣取っていたとは考えにくいですので、
犬山城に詰めていたのではないかと。
そのとき犬山城は後詰の城ということですね。
そんなことを考えながら楽田城を散策するのも楽しいですよ。
◆ 楽田城インフォメーション
城郭構造:平城
築城主 :織田久長
築城年 :永正年間(1504~1521)
遺構 :石碑、土塁跡、堀跡
場所 :愛知県犬山市字城山97番地
2018年06月16日
たかまる。
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