犬山城天守、鯱復元の記録
犬山城天守に雷が落ちてから、7か月。
鯱復元のときを迎えました。
早かったのか、遅かったのか。
どちらにも取れるぐらいの期間で、新しい鯱が出来上がったのです。
その歴史を、記録として留めておきたい。
それが今回のテーマです。
ちなみに、鯱が破損してしまったところまでは、下記のブログでおさらいしてください。
www.takamaruoffice.com
◆ しゃちほこ、旅立つ
鯱を復元するためには、図面を作成する必要があります。
それは、犬山城白帝文庫に伝わる書物の中に、鯱の図面があるのでしょう。
それを参考にすることは間違いありませんが、
昭和の大修理のときに降ろした鯱と、
今回の落雷で破損した鯱をもとに、
綿密な設計がなされるわけです。
それぐらい、復元するということは慎重に行わなければいけない。
昔から伝わるものを、想像で復元するわけにはいかない。
もしそうしたならば、それはもはや復元ではないのです。
なので、2017年11月3日、鯱は奈良県まで旅立ちました。
新しい鯱を産みだすために。
◆ 鯱瓦の施工は、田中社寺(株)で
今回の鯱の復元に当たり、いろいろな業者からオファーがあったようです。
ただ、従来のものを復元するということで、
材料から制作、施工までトータルで検討して
施工は岐阜県岐阜市の田中社寺株式会社、
鯱瓦の製作は奈良県生駒市の山本瓦工業に決まったようですね。
しかし、これは責任重大です。
のちに、業者の工場長は「全身全霊を込めて作った」とコメントしているように、
並大抵のことではありません。
相当プレッシャーもあったでしょう。
でも、その重圧に屈することなく、
新しい命を吹き込んでくれました。
私は直接の関係者ではありませんが、報道を目にして胸が熱くなりました。
ありがとうございました!
◆ しゃちほこは、こんな風に作られました
しゃちほこ制作の手順については、
2018年3月17日に行われた鯱復元記念セレモニーで配布された資料に書かれていますので、ご紹介します。
1)成形
2)乾燥
3)焼成
という流れ。
さっきも言ったみたいに、私は関係者じゃないので写真とかないのが残念ですが、
報道されていたものを思い出しながら読み進めてください。
乾燥、焼成での収縮を考慮して、
113.5%で作ったようです。
この辺りは経験とか、気候とか、土の状態とか、いろんなことをピピっと計算して決められたのでしょうね。
職人技です。
すばらしい!
ここでちょっと耳寄りな情報。
今回の平成の鯱は、宝暦の鯱(江戸時代)に倣って二分割としたそうです。
なんと!
そして出来上がったものが、こちら。
この写真は、犬山市の山田市長よりご提供いただきました。
気さくな方で、たかまる。の活動にもご理解いただいている、とても素敵な市長さんです。
いやぁ、いいショットですね。
惚れ惚れしますね。
しゃちほこ、かっちょえーーーーー!
【鯱の寸法】
高さ:1310mm
長さ: 650mm
幅 : 370mm
重さ:62.5kg
【取り付け位置】
地上から約24m
◆ 天守への取り付け工事、全貌!
さて、取り付け工事については時系列で見ていきましょうか。
<2018年2月9日>
突如として足場が現れます。
<2018年2月14日>
(バレンタインデー=男が一喜一憂する時代はもう終わったのか?)
足場がこんな状態になりました。
しゃちほこが破損したのは北側。
つまり、写真で言うと右側。
ん?
じゃぁなんで左側(南側)まで足場がいってるの?
というのは、南側の鯱のヒレも破損していたのです。
いつ破損したかはわかりませんが、おそらく雷が落ちるよりも前に。
だから南側にも足場ができているんですね。
しかも、避雷針を新しく作って取り付ける工事も同時にやるということで、
そのための足場でもあるんです。
<2018年2月26日>
ついに、しゃちほこが天守にあがる日がやってきました。
先ほどの完成したしゃちほこの写真は、
天守に取り付けられる直前の写真なんです。
おーーーー、チョー貴重じゃないですか!
そして、さらに貴重な写真をここからはお見せします。
犬山市の関係者が撮影したものをご提供いただくことができましたので、
ここにアップさせていただきました。
ありがとうございました!
今回の鯱は、宝暦の鯱と同じように二分割しました。
昭和の大改修のときの鯱、つまりこないだまでのっかっていた鯱は一体型だったんですね。
それで、芯木(鯱束:しゃちづか)という、屋根を支える棟木から上に延びていて、
鯱瓦の尾の部分を支えるための垂直木が昭和の鯱仕様になっていたから、
平成の鯱仕様にしなきゃならんということで、檜材で延長させたんだとか。
それがこの写真ですね。
ほら、足されてるでしょ?
で、この加工、予めできることではなくて、現場でその時に調整しなきゃいけなかったんですって。
なんてことですか!
こりゃ大変だ。
職人さんの腕の見せ所ですね。
時間は多少かかったようですが、無事に調整も完了し、取り付けられたそうです。
いやぁ、取り付けられていく様子がこうやって見られるなんて、
めっちゃすごいじゃん!
歴史の証人ですよ。
そしてそして、犬山城白帝文庫の理事長でもあり、代々城主を務められた成瀬家の末裔である成瀬淳子さんが、
久能山東照宮でご祈祷されたお札を取り付けられたとか。
これで、しゃちほこも犬山城もお守りくださること間違いなし!
<2018年2月27日>
取り付けられた翌日。
足場はまだ取り外されていません。
さっきも書いたように、ヒレや避雷針の取り付けがありますからね。
もうしばらくです。
でも、うっすらと見えますか?
しゃちほこ。
久しぶりに二体が向かい合って並びました。
昭和の鯱と、平成の鯱。
そして、新聞やテレビなどの各メディアで大きく報じられました。
<2018年3月13日>
足場が取れました。
17日にはセレモニーがあるので、その前に足場が外されて鯱がお目見えです。
カメラ小僧がいーーーーっぱい(笑)
よかったね。
復元できて。
ほんと、よかったね。
<2018年3月17日>
鯱復元記念&犬山城跡国史跡指定記念セレモニーが執り行われました。
朝も早うから出かけていき、券売所にたどり着いたのが6時30分。
やったーーーーー一番だーーーー
と思いきや、2番。
がーーーーん。
ま、いいです。
お譲りします。
大丈夫です。
そう大してショックじゃありませんから。
はい。
ということで、除幕式、山田市長のあいさつ、成瀬理事長のあいさつと、
滞りなく執り行われました。
セレモニーでは、先着150名の方に整理券が配られ、しゃちほこと一緒に記念撮影ができました。
私も年甲斐もなくピシッとして写真を撮ってもらいました。
めでたしめでたし。
って、ちょっと待って?
しゃちほこは天守に載ってるんじゃないの?
なんで地上にあるの?
って思いましたよね?
実は、制作過程で何が起こるかわからないということで、2体作ってあったのです。
成瀬理事長曰く。
兄しゃちと、弟しゃち。
今回天守に登ったのは弟しゃち。
で、兄しゃちは地上から見守るそうです。
なんとも泣けるエピソード。
成瀬淳子さんの愛情が伝わってきますね。
セレモニーのときのスピーチ。
泣けてきました。
私が撮影・編集したつたないムービーですが、どうぞ。
これにて一件落着。
無事に復元して、取り付けも、セレモニーも滞りなく執り行われて、
重ね重ね、関係者ではないですけどとてもホッとした思いです。
で、実は、セレモニーのとき、私、テレビにちょっと映ったんです。
インタビューとかはされなかったですけど、記念撮影している様子をNHKが使ってくれました(笑)
お恥ずかしいやら、うれしいやら。
◆ 鯱復元。そして、いま
しゃちほこ取り付けから1か月がたちましたが、その後の様子はどうかというと、
犬山城・城下町は連日もの凄い人出。
もう、まっすぐ歩けないほど。
いやぁ、テレビや新聞の報道っていうのは凄い影響力ですね。
ちなみに、城とまちミュージアムでは、
宝暦の鯱、昭和の鯱、平成の鯱の三時代そろい踏みで見ることができます。
二年間ほどの期限付きですので、一度、見に寄ってやってくださいませ。
こんな感じですよー。
一番左が、宝暦2年(1752年)の鯱。
一番右が、昭和39年(1964年)の鯱。
そして真ん中が、平成30年(2018年)の兄しゃち。
長々と書きましたが、
鯱復元の記録でした。
では、また。
2018年4月9日
たかまる。
- 写真はすべて、たかまる。が撮影したもの、または使用を許可されたものです。
- 図はすべて、たかまる。が描いたものです。
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